最終日の6月2日に都内にでるのでその時に合わせて観覧する予定でしたが、6月の仕事が大変忙しいことがわかり(毎週休日出勤アリ。毎日残業もあるので週1回の休みの中でふたつも用事をこなすのはキビシイと判断しました)、夜勤明けで4時間しか寝れませんでしたが、なんとか展覧会へ足を運ぶ事ができました。
外は今週、私を苦しめた!連日の真夏日を思わせるような日差しは顔を潜め、どんよりとした曇り空。それでも私は電車での移動時間中、牧野夫人の著「見る人間・牧野邦夫」を読みながら久しぶりに牧野先生の作品を拝見できることに胸が高鳴る事を感じておりました。それはまるで遠く離れた想い人に会いにいく気分です(笑)
私が牧野邦夫という画家の存在を知ったのは1988年(昭和63)に銀座の文藝春秋画廊で開催されていた同氏の遺作展でした。当時私は美術大学に通う学生でした。大規模な美術展へはよく出かけてましたし、気の向くままに画廊へも入ったこともありましたが、牧野邦夫・遺作展を拝見しにわざわざ銀座まででかけた日の事は今でもよく覚えております、というか忘れられません。運命というものがあるとするならば、それはまさに運命的な出会いだったのです。
そもそも遺作展を知ったのも偶然というか運命だったのかもしれません。
当時、学生だった私は深夜にコンビニでアルバイトもしておりました。そこでお客さんのいない時を見計らって情報誌からコンサートや美術展の情報を得ることを楽しみにしておりました~てへっ。そこで遺作展のことを知ったわけです。まぁ、普段なら画廊で行っている個展情報などは目に留まらないものなのですが(その辺りのページは細かい文字ばかりで埋まっているので)遺作展の情報欄に貼られた一枚の自画像(たぶんですが「夏の自画像」1978という作品だったと思います)の写真が私の心を捉えたのです。写真は2cm四方くらいの小さなものでしたが眼光の鋭い男の自画像は私に(オレに会いに来い!)と言ってるように感じました。
銀座の画廊。いくら美大生の身とはいえ、よくもいけしゃぁしゃぁと行けたなぁと今では思いますが(汗)若さゆえの怖いもの知らずで銀座の画廊の扉を開きました。
もう、そこでの衝撃といったら…とても言葉では言い尽せません。
画廊をでる時になって受付で牧野邦夫の画集を作ろうと画集代金を募っていることに気がつきました。学生である私には決して安い金額ではありませんでしたが何の迷いもなく協力させていただきました。今でも不思議に思うのですがあの時は牧野さんの作品の熱におかされていたのかなぁ~なんて。もしかしたら全て夢幻ではなかったかと考えたりすることもありましたが、後に完成した画集が自宅に届けられて(夢じゃなかったんだ!)とホッと?したりしてwww
牧野邦夫の絵はもちろんの事、私は画集や牧野夫人の本から知った画家・牧野邦夫の生き様にすっかり魅了されてしまいました。
「人間として生きんかな
誠実に生きんかな
我を生かすものは絵画也
酒にあらず、金にあらず
女にあらざる也」
(牧野邦夫・日記より 1954.1.1)
「現代に波はなく、大小の河が流れてゐる。
その河の水を使いたくない奴は、自分で井戸
を掘らねばならない。俺も井戸掘りの一人だ」
(牧野邦夫・姉美江への手紙より 1966.7.12)
当時、私は念願の美大に入ったものの、周囲の学生たちの勉学よりも遊びに夢中になっている傾向にどうにも居場所がみつけられずに悩んでいたこともあったりしまして、これらの牧野の言葉は私の心に強く刺さりました。
今回の展覧会の会場でも熱心に牧野の言葉を書きとめている若い方を拝見しまして、なんだか昔の自分を見ているような気持ちになりました。
牧野邦夫とモデルであり奥さんの千穂夫人について語ると長くなりますので今回はこの辺で…話を展覧会に戻します。
展覧会の会場である練馬区立美術館のある中村橋駅に降り立って、改札から美術館への通りにでて私は思わず笑みがこぼれてしまいました。

通りには牧野邦夫の展覧会のノボリ?が付いた街灯が続いておりまして、私は少し胸の中に奇妙な違和感がわくのを感じました。それは不快感というのではなく、なんとなく…面白おかしい感じ?というのでしょうか。
(失礼を承知で)俗っぽい言い方でアレですが
すごい!メジャーな画家っぽいwww
今まで画廊や百貨店での展示とかが主な展覧会の会場だったので美術館ともなると流石だなぁとヘンに感心したり、「異端の画家」とか言われてどちらかというとマニアというか、コアな美術ファンから注目を浴びていた感じなのに。。。これで幅広い層に認知されるかな、好かった~♪などとひとり悦に入ったり(笑)

今回の美術展のカオとしてポスターやチケットに
印刷されている「ビー玉の自画像」がまたイイね。
牧野はたくさんの自画像を描いていることでも知られております。なかには、というか大半はキビシイ眼差しでこちらを睨んでいる作品が多い中、「ビー玉の自画像」の牧野は穏やかな面持ちでこちらを見つめておりまして。。。
(やぁ、いらっしゃい。久しぶりですね~)
なんて、迎えてくれているような気がしました。
見上げればいつのまにか青い空が雲の隙間からのぞき始めておりました。
会場内はいくつかのフロアに分けて作品を展示されてました。(年代順に)
年代順と言いましたが入口での一発目は牧野の未完の大作「未完の塔」が登場。
なるほどそうきたか!
「未完の塔」は牧野が50歳になってから描き始めた作品です。モチーフは五層の塔になっており、一層、一層を下から年代順に描いていく予定の絵でした。完成しているのは一番下の層だけで、その上の六十歳代の層は灰色の絵の具で下書きがされているのみ。それよりさらに上の階層はモヤにつつまれておりかろうじて塔の形をうかがえるといった様子。(塔の天辺にあたる)キャンバスの上部には絵の具が盛られている。
塔の一番上の層を描くころには牧野が90歳代に入ってからの予定だった。
これは牧野が尊敬する画家・レンブラントのような作品に到達するには自分は90歳まで生きなければならないという目標を掲げておられたからなのです。
キャンバスの裏には牧野による創作期間中の出来事、節目となる事などが直筆のコメントが書き込まれている。展覧会ではキャンバス裏面をパネルにおこして紹介されておりました。
「未完の塔」は相変わらず圧巻のひとこと。塔の入り口付近に描かれているたくさんの人間模様。いろいろと想像をかきたてられ、つい、作品に見入ってしまいます。それにしても「未完の塔」はキャンバス50号の作品なんですが、記憶の中では100号にも200号にも感じられる大きいイメージがありまして、今回久しぶりに目の前にして(あれ?こんなに小さかったっけ?)と驚きました。
展覧会場の各フロアの壁面中央は大体、大型の作品が飾られておりました。大型の作品の前にはイスやソファなどが配置してありまして、ゆったりと作品と向き合う時間がとれました。
今回の展覧会で私が個人的に嬉しかったことはショーケースに展示されていた牧野先生の直筆の手紙や、絵のモチーフに使用したと思われるビー玉やアクセサリー等の小道具を拝見できたことでした。なにぶん私は牧野先生に直にお会いする機会がなかったものですから、こういったモノから人間・牧野邦夫を感じられ…いやはや、ミーハー気質で申し訳ない。
キャンバス以外にもお盆やパレット、レコードジャケットなどに描かれた作品もユニークでした。装飾された額なども(作品の中にはキャンバスに収まらずに額縁まで絵の具が塗られ作品の一部と化しているものがある)側面や下側から覗き込んだりしました。画集ではこういった立体的な楽しみは得る事ができませんからねぇ。
展示フロアの後半には後に牧野夫人となる千穂さんがモデルになった作品が登場。
私は牧野作品の中でも特にこの辺りの作品がお気に入りであります。幻想的な世界は色彩も明るく、軽やかに思えます。
牧野は裸婦や群像作品の端っこに、犬を連れ立った三角帽子をかぶり杖をついた旅人を描いていることがあります。旅人は牧野自身だ。旅人は大抵、画面の奥の方へ遠ざかろうとする姿で確認されるが、「立てる千穂」という作品では画面右下に旅人が正面に向かって歩いてきている。
千穂さんは画家、牧野にとってミューズ的な存在だったのだと考えております。
そうそう、今回の牧野邦夫展では期間中にいくつかトークショーなどの企画もありまして、私の行った日には5月27日生まれの牧野邦夫をお祝いして「ハッピーバースデイ・コンサート、牧野邦夫が愛したギター曲」と題しまして牧野と交友があった三澤勝弘という方がフラメンコギターを弾いてくださいました。とても情熱的で素敵でした。
フラメンコの調べなどはじめてちゃんと聴きましたが、私が今まで聞いてきた音楽とだいぶ異なる印象を受けました。その調べは呼吸しているかのように変幻自在。情感や景色、物語などが切々と投影されていくように感じられました。それはどこか牧野の作品にも通じるようにも思えました。
コンサートを行ったフロアで牧野夫人をお見かけしましたがタイミングを逃し、お話しすることができませんでした。残念。
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