イメージ 1SION。
山口市内のライブハウス弾き語りを中心に活動し、1979年10月に19歳で上京。
上京後、1年間はソロで活動していたが、のちにバンドで歌うようになる。
デモテープを録音し、レコード会社に送るなどしていたがなかなか採用されず、その間も曲を作り続けていたという。
1985年9月1日、自主制作盤『新宿の片隅で』を発表。以後、現在まで精力的に活動を続けている。 ハスキーな声で語りかけるような独特の歌い方が特徴。
(ウィキペディアより)
 
私がSIONを知ったのは高校生の時、確かR&Rバンドスタンド・広島とかいうコンサートでだ。このイベントは広島の原爆などの追悼や平和を謳ったイベントで主にロックバンドによる音楽の祭典だった。今の市場から考えるともうこんなイベントはできないのかなぁ。反原発だし…。当時の若者の間には抑圧された魂の解放にロック・ミュージックは身近にあったものです。今と違って学校はたくさんの規則があったり教師はおっかない存在であった。「腐ったミカン」「校内暴力」といった単語が流行していた背景からも当時の学校の荒廃ぶりがうかがえます。
ロックはそんな若者たちの熱烈な支持を受けて一大ブームを築いてました。特にロックミュージシャンが集うR&Rバンドスタンド・広島のイベントは凄かったと思います。私はTVでしかその雰囲気を味わっていませんが、モニタ越しでも会場の熱量は伝わってきましたし、時代を変えていける!といった意気込みのような熱いものを感じてました。
話をSIONに戻しますが、もちろん私は他のアーティスト(尾崎豊であったり佐野元春、ECHOESなど)目当てに録画していたんですが、SIONはそんな中に参加していたひとりでした。最初の印象は…怖かった?かな。
 
SION「春夏秋冬」
 
 
現在見ると(とがっていて、カッコイイ!)という感想なんですけどね。それまで私が好きだったミュージシャンとはかなり変わっていたんですよね。独特のハスキーボイスやしぼりだすようなボーカルスタイル。ステージ上で煙草をふかしたりお酒を飲んだり~あと、アレだ!眉毛がないなど、とにかく「不良」という言葉以上に凄みを感じてました。しかし、どこか惹かれるものがあったのでしょう。数日後、SIONのアルバムを手に入れて聞きこんでいる自分がいましたね。
SIONの音楽は見た目はああだけど(笑)すごく繊細でね。時にあったかくもあり、時に寂しくもありと多感な時期の自分の心を捉えていきました。
 
SION「街は今日も雨さ」「クロージングタイム」「風来坊」
 
 
しかし、SIONの見つめる視線は新宿の裏路地であったり、上京しての孤独感など曲作りもハードな方向へと展開していき、自分もSIONの歌を聞くのが段々と辛く思えるようになっていったのです。88年に発売された3rdアルバム「サイレン」はきつかったなぁ。鬱曲が多くって…。後になって読んだSION著の「新宿の片隅で」の中で彼自身、曲作りに行き詰まり音楽活動をやめようかと考えたと心情を吐露していたっけ。
 
SION「サイレン」
 
 
そして翌年に発売された4thアルバム「Strange But True」という2枚組みのアルバムはSIONにとって大きなターニングポイント的な意味をもつ作品になった。私もこのアルバムが前作同様に鬱方向なものだったら現在もSIONが好きだといえる自分はいなかったであろう。
 
SION「好きで生きていたい」
 
 
好きで生まれたわけじゃない
選んで暮らしてこれたわけじゃないけど
好きで生きていたい…
 
この歌詞に象徴されている様にこのアルバムからSIONの曲作りの視線は優しくなり前向きになったと思いますね。当時20才の私にはこの歌詞を実感として捉えるにはまだ早かったように思いますが、それでもこのフレーズは自分の心に沁みました。
そして自分が今日まで生きていく中で何度かこのフレーズを口ずさんで、辛い時節を乗り越えてきた事実があります。そういった意味でもSIONというミュージシャンは自分の中でも特別な扱いだったりしまーす。
 
SIONで思い出すのは野音でのライブでしょうか。まだ明るい夏の夕方からスタートして静かに陽が暮れていく。野音の独特の空間が好きなのである。SIONのライブは昔からアルコールがOKなのでウィスキーなど傾けながらSIONの歌を楽しむのが最高の贅沢なのだ。まぁ、ライブでなくても私は家呑みでも心地よく酔いたい時はSIONの曲を肴にグラスを傾けてますけどね~。今年は久しぶりにSIONのライブに足を運んでみたいですね。