その3の後編、コースの残りも消化してないというのに…
先週の土曜日(1/16)に「都幾川歴史道コース」を半分(10K)ほど歩いてきました。
今回のコース、実はものすごく楽しみにしていたのです。
それは…私が年末年始に読んでいた大河小説「天の園」が
この地を舞台に書かれたものだったからなので-す。
いわゆる「聖地めぐり」ってやつなのですよ。

「天の園」とは・・・
「天の園」は大正から昭和にかけて、旧唐子村で小学生時代を過ごした打木村治の自伝小説です。都幾川や農村の情景描写にすぐれ、また、主人公「保」(たもつ)少年の目を通して、親子のふれあいや地域の人々の心あたたまる交流がえがかれています。
当時の情景を今に残すこの地域は貴重な自然の宝庫。自然の中でのびやかに遊ぶ子供たちと、やさしく見守る大人たちがたくさん登場します。
アイさんが住んでいた若宮八幡の穴古墳。祭りのステージはお諏訪さま(唐子神社)。もち草をついたコンニチワ石。文鎮石を探した都幾川の川原。「おとうか」に化かされて一晩じゅう歩き回った稲荷(おとうか)橋の辺り。
今はない坂東山の大蛇。鎮守の森のかわいい「金目玉」のふくろうなど動物たちも登場します。

さて。今回ウォーキングのスタート地点に選んだのは「唐子市民活動センター」。
実はココは私の職場からわずか1Kmくらいしか離れていないんですよ~。このセンターの道路を挟んだ反対側に唐子中央公園があり、その公園内に「天の園」の記念碑があるというので早速探してみましたよ~

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石には「景色でおなかのくちくなるような子どもに育てます。」と彫ってあります。
この言葉は保の母、かつらが病気の夫と5人の子どもを連れて、故郷の唐子まで兄をたよってやってきた時に、心配する兄に向けて投げた言葉です。それはかつらの自分自身への決意表明みたいなものだったのかもしれません。
「天の園」は全部で6巻あります。第1巻が主に保の小学生1年生の四季折々の出来事をつづっていて、第2巻は小学2年生…といった具合に「天の園」は全6巻、保の小学生時代の成長記録をえがいたものなのです。ただ、6巻の作者のあとがきに主人公は保、ではなく母のかつらという発言もありまして。そうなるとこの石碑に刻まれた言葉が非常に印象深く感じるのですよ。

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←唐子神社

↓丸木美術館

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丸木美術館についてはまたいつか、きちんと紹介したいと思ってます。
↓ウチのカメラはパノラマ写真が撮れる機能がナイのが残念すぎるわ~
丸木美術館より下に眺める都幾川の風景が良かったんですよ~

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こういう牧歌的な冬景色の場面ってなんとなくドイツっぽく感じがるのは私だけかな?荷車に背もたれしながらトコトコと、こんな田舎道を通ってみたいゾ

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浄空院。松の庭園が見事でした。

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その後は誘われるように不思議な小路をたどって竹林と湧水の世界へ。

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そういえば「天の園」の中で、保少年が新しい竹馬が欲しくて、竹林所有者の村人を訪ねる場面があったけどこんなところだったのかなぁ。

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不動の滝→
大木の根のところから湧水が流れでてて、神秘的というかなんというか。生命力?活力?みたいな気を感じましたね。
パワースポットってやつだね。
また、この辺りは「ホタルの里」になってるそうです。



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江戸時代からの湧水池だそうです。七ツ沼。

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氷川神社。
平成21年に再建されたばかりの新しい社です。
案内板によると昭和61年に不審火によって本殿が全焼。また、平成20年には放火により再び本殿を消失とありました。神社に火をつけるなんてなんて罰当たりなんでしょう!

月田橋からの眺め。夏にはキャンプやBBQを楽しみ人で賑わうんですよ。

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落葉樹林の山の稜線を眺めながら歩く。
(歯ブラシみたいだな)とか(つまらないものでも、ないよりはましであることの例えで使われる「枯れ木も山の賑わい」って言い回しはこーゆーのかぁw)などと脳内では独り言が絶えません。

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私が一昨年の夏から避暑地(現在、地元には市民プールがナイので)として利用しているところです。今回初めて橋の名前を知ったw 「鞍掛橋」。

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夏には地元の人が涼を求めて賑わう河原ですが、さすがにこの時期は人がいませんね。
ただ、駐車場や休憩所あたりを改修工事している様子だったので今年の夏頃にはちょっぴり観光地らしくなってるかも?
個人的にはあまり人の手を入れて欲しくないんですけどね…


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最近、東松山市は湧水に恵まれた土地だと知ってからというもの、確かに市内には溜め池や用水路が多いのが目に付くようになりましたね。お!梅も拝見できて、この日は期せずして「松竹梅」揃ったな~♪

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六地蔵と石仏群。
巷で流行りの六つ子かー?なんちて。







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神戸神社の境内には土俵がありました。案内板によると毎年7月の夏祭りにおいて、村をひとまわりした獅子たちがこの土俵の中で奉納舞をされるとのことです。


「天の園」では保がオトウカ(オトウカは「お稲荷」の音読みでキツネを意味します)に化かされるエピソードがあります。ココがその現場の「おとうか橋」(御稲荷橋)です。
先の「鞍掛橋」と同じく手すりのない、車1台分しか通れないくらいの幅の橋なのです。

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おとうか橋から北方面が保の住んでいた部落のあったあたりになってます。
保=農民文学を数々執筆した作者、打木村治氏が少年時代にこの地で過ごしたと思うと胸が熱くなりましたね~。
自分が今回、こうして歩いた野原を彼も同じようにして歩いたのだろうか…。


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都幾川河原沿いにある「篠やぶのみち」
にて。小学生くらいの子どもの目線でシャッターを切ってみました。たまに子どもの視点で世界を見てみることは大事だと思ってます。
大人になっても子ども心に持っていた新鮮な感覚を忘れたくないですね。


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「青ん淵」。「天の園」の中で保が溺れかける場所です。私はその場面を読んであの辺りにそんな水深のある所あったかな?と疑問に思っていたのですが、実際に現場に来てみますと一部の淵がものすごく濃い緑色をしていて相当に深そうでした。小説の中では子どもたちがこの淵へ飛びこみをして泳いでました。夏がきたら試してみようかしら。。。

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そして、今回のウォーキングのラストは若宮八幡古墳と古墳の頂に建つ八幡神社です。
ココは「天の園」で保が乞食のアイさんとの出会いと友情が描かれる舞台となのです。

今の時代に「乞食」と友達、なんて言うと奇妙に感じますが明治、大正時代の日本全体が貧困の時代にあった時には「乞食」という身分に対して寛容であったように思います。
作中で乞食のアイさんは家々をまわって物乞いをして生活しています。アイさんは人に好かれるタイプの良い乞食として描かれてますが、作中には狡賢い乞食も登場します。その悪い?乞食が村を追われる時に「子どもたちの信用を失ってはもうこの村にはいられない」といった趣旨の発言があるのですが、「乞食」として集落に迎えられ、人々と上手くやっていくにはその村の子どもたちと仲良くなるというのもコツだったのかもしれませんね。

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アイさんは八幡様の洞穴に住んでいるとのことでしたが、本当に八幡古墳に洞穴がありました!発見した時には謎の感動が沸き起こりました~!

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また、神社には蚕の繭が奉納されてました。
「天の園」でも保の家では農業の傍ら、養蚕を始めます。当時はこの地域一体で養蚕が盛んだったのでしょうね。そーいえば私の高校生の時、友人のお宅で養蚕していたところがありました。しばらくして辞められてしまったようでしたけどね。跡を継ぐ人がいなかったみたい。今ではここ地元では養蚕を続けておられる農家も減ったと思われます。農産物として現在は梨園が盛んなんですよー。でも、まだまだ桑畑もあちこちで見かけているので養蚕は完全に無くなったわけではないようですけど。
(実は…私はあまり…毛虫芋虫の類って得意じゃなかったりするのだ・汗)