ごきげんくるめっちゃー!!
(「のぞみ家の一族」という番組での挨拶文句でーす。2月はスタジオ観覧できそうなんでちょっと浮かれ気味な私ですw)
今日は先週歩いた大河小説「天の園」の舞台(聖地)でもある東松山市のウォーキングコース「都幾川歴史道コース」、残り半分の10Kmを歩いてきました~
聖地めぐりと言ってもメインの箇所は先週まわってしまったので、今日はウォーキングセンターのある市街地周辺と…今ひとつ面白みに欠けるかもだけど。

気を取り直して、今日は出発点は東松山市立図書館から。ちょうど返却する本、DVDがあったのでね。出発前に返却を済ましてリュックを軽くしてから歩いて…一巡して帰ってきたらまた何か借りて帰宅しよう、というねw ま、今日はウォーキングの後、そのまま買い物などの用事もあったし。

先ずは図書館から東武東上線の「東松山」駅を抜けて反対側の箭弓稲荷神社へ。

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先週の大雪から丸6日が経ちましたが、日陰にはまだ凍ってしまった雪が残っておりました。
そういえば紹介してなかったけど、初詣の時にもあった神社に奉納されてる巨大な絵馬(右上の写真に見えます)に描かれた干支の猿は、この神社の近くにある松山女子高校の美術部の生徒さんたちによって描かれたものなのです。松山女子高の美術部は私が高校生時代の頃からもレベルが高かった記憶がありますね。私も同じ美術部(部長でしたし)に籍を置くものとして、密かにライバル心を燃やしていました~(苦笑)。でも結局、一度も松山女子高には足を踏み入れたことがないんですよ。今思えば文化祭の時とかに、なんで行かなかったのだろうかと考えたりするけど…ま、あの頃は私自身、人見知りの性格に加えて硬派を気取っていたので土台ムリな話かも。もしかしたら…ナンパとか流行っていた時代(80年代。竹の子族や原宿文化が栄えていた)だったから、学校側が招待券を持っている人でないと校内に入れないようにしていたような気もしてきたなぁ~…と、どーでもいい話はさておき、ウォーキングコースは神社の後、残念ながら松山女子高を迂回してゆきますw

不動沼と倶利伽羅不動尊。

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躍動する胴体をもった黒竜が利剣にからみ、その利剣を剣先から呑みこもうとしています。その左かたには鋭い爪を持った竜の手が、宝珠をわしづかみにしています。これが倶利伽羅不動尊です。
倶利伽羅とは、インドの伝承で頭に半月を戴く、黒褐色の竜王であるといわれています。

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倶利伽羅不動尊は、滝口や清水の湧出する水辺などに祀られることから、水神として造像されるものが多く、他にも不動信仰に基づいたものがある。
この倶利伽羅不動尊は、高さ90cm、幅33cm、厚さ22cmの大きさで、造像された年代は不明ですが、江戸時代の作であろう。また、清水のところに祀られていることから、水神として造立されたものであろう。
(以上。案内版より)
ふぅ~、最初に案内板読まずにお社の中を覗いて倶利伽羅不動尊を見た時はビビリましたよ~(滝汗)
一体どこのRPGだよー!とか、特撮ヒーロー番組に登場する悪の秘密基地なのか!?などなど妄想が捗りますね~

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おーおー、寒さに負けずに子どもたちが小学校のグランドでサッカーを楽しんでました。こちらの青鳥(オオトリ)小学校の校舎の壁画は丸木美術館を開館された丸木夫妻によるものだそうです。
下はおため池と虎御石。この虎御石は比企・入間地方で最大の板石塔婆だそうです。

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石塔婆とは石碑の一種で中世仏教で使われた供養塔とのこと。石碑には梵字(種子)で被供養者名、供養年月日、供養内容が刻まれている…との事ですが私はこっち方面は不勉強にてチンプンカンプンです~ぐぬぬ。漢字(中国)は見慣れているけど、いきなり梵字(インド)で書かれた石碑とかに出くわすとか、も~う、ファンタジーだよー。
実はこの辺一帯は平安時代から戦国時代あたりまで青鳥(オオトリ)城があったらしいのですが、現在は廃城されていて城跡を探すのも大変な状態になってるみたい。この日は藪の中など積雪が残っていて城跡を発見することができませんでした。また機会をみて城跡めぐりをしてみたいと思ってます。

この後ルートは先週に訪れた若宮八幡古墳(八幡神社)に合流。そのまま南下して都幾川の土手沿いを散策しました。

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今回も懲りずにパノラマ撮影にチャレンジ~w 
お!三脚使わずにコレなら結構上手く撮れた方なんじゃな~い(自画自賛)

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もーう、せっかくイイ気分で散策してたのに…誰だよ、こんな所に門松を廃棄していったヤツは! 
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大きな都幾川橋の下に旧唐子橋跡、橋げたのみがぽつんと残されておりました。
旧唐子橋は「天の園」の中で保がクラスメートのふゆ子ちゃんとの慕情めいた場面で登場します。切ないっす。。。




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左も上もそれぞれ異なる氷川神社です。そういえばウォーキングを始めてからというものの、数多くの氷川神社という名前の神社に出くわすのだけど、なんでこんなに氷川神社多いの?と思った。ネットで調べようとしたら、私と同じように疑問に思った先人たちがたくさんいらして苦笑。

氷川神社の総本山はさいたま市大宮区。あ!私が高校生の時、大宮の美大系の予備校に通っていたのですが、その時に予備校生仲間と一緒に初詣に訪れたことがあります。
元々は出雲国にいらした氏族が武蔵国造の任を得て、現東京・埼玉である地へ移住された時に、出雲の神々も同時に運んできたことが初めのようです。
氷川の名は出雲で神聖視されてた肥川(現・斐伊川)の名に因むものといわれ、農業用水として大きな恩恵を受ける一方、水害に悩まされるなど畏敬の念をもって人々の間に信仰が広がったみたいですね。
また平安時代には平 貞盛が平 将門の乱の戦勝祈願をしたことから、関東武士からの私事も集めていたとのことです。
埼玉に住んでますと氷川神社の多さに驚きましたが、全国レベルでみると実はベスト10にも入ってないそうです。圧倒的に多いのは天照大神を祀った神明社、続いてお稲荷様、八幡様、天神様など…日本の神道は八百万の神(やおよろずのかみ)とも言いますものね。奥深いです。

右写真の上野本の氷川神社では県指定無形民俗文化財にも取り上げられている「金谷の餅つき踊り」というものがあるらしいです。なんでも事のはじまりが昨年の観光ツアーで私も行きました岩殿山。そこで悪竜退治をした英雄・坂上田村麿を村人が歓迎したことから発しているそうで…岩殿山で聞いた話がこの神社での祭りごとに繋がっている!と解った瞬間は謎の感激に襲われましたわ~w

子育て浅間神社。

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子育て?
敷地内には特に案内版がなかったので帰宅してから調べてみたところ、浅間神社には出産・子育て方面で人気があるようですね。浅間神と木花咲耶姫命が同一視されている理由のひとつに木花咲耶姫命の出産というのがあるみたいですが(注・諸説あり)、その辺に関係しているのかも…ってザックリな紹介でスマン。日本神話記とか私には難解すぎて、誰かに説明できるほど頭の中で整理できてません。今日はもう頭の中のキャパが一杯ですw

この後は住宅街を抜けて市内へ。図書館に無事に着いてウォーキングは終了~♪
図書館に入館して地元のイベントの情報を仕入れていたところ!!!

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こ、今度の土曜日に「天の園」のイベントがあるじゃないですか!?
なんつーう、私にとってタイムリーな話題なのでしょうかー!

2016.01.30(土)13;30~15:40
・会場:東松山市民活動センター
・後援:東松山市教育委員会及びサポート事業支援
・「大地の園」紙芝居完成披露
・小学生の総合学習「天の園」の研究成果発表
・パネル・資料の展示
・NHK朝ドラ化をすすめる会の署名活動を行います。


あわあわ…。とりあえず、図書館から「天の園」の続編!「大地の園」(全4巻)を借りてきてしまいました。「大地の園」は中学生になった保の物語らしい。中学は川越にあって保も親戚の家に居候になるので、物語の舞台そのものが川越になってしまいます。川越にも「大地の園」の聖地めぐりってできるようになっているのかな?私の知的好奇心が刺激されてウズウズしてしまいます。ヤヴァイです。もういい加減に興味の対象をロサンゼルスにしなくてはいかんというのにぃ~!あーどしましょ!?