今朝起きると母が自分を呼ぶので顔をだすと
「病院へ電話して空き病室があるようならば再入院したいと思う」と言う。

やはりな…自宅療養といっても食欲がなく食事がとれないことには
どうしようもない。かえって体力の低下を招くだけだしな。
いつも我慢に我慢を重ねて、挙句には緊急入院というパターンを
繰り返してきた母にしてはマトモな判断だと思う。

病院に電話すると担当医は不在であったが(後でお休み日だったと知る)
別の当直医師が緊急受入れで診るので来てくださいとのこと。
妹に電話し、母を病院まで送って行ってもらえることになった。

入院の準備をしながら時計を見る。
自分は付き添いで一緒に病院へ行ってもあまり意味がない。
今後のことを思うと妹が到着するまで母をひとり家に残して
自分はいつも通り出勤した方が良いのではないか。
母も自分のことは気にしないで仕事に行ってきなさいと言っている。

理屈ではそうした方がいいのだろう。
が、今回は予感めいたものが背中を押して
職場と派遣会社の担当者には本日欠勤する旨を伝えることにした。

先週土曜日の担当医が言った「最後の退院になるかもー」という
コトバが私の頭の中でグルグルしている。
思えば母の姉の時もそうだった。
伯母も癌で闘病し最後は病院で亡くなった。
亡くなる前に病院から危篤ということで連絡が入ったが、私は仕事で
行けずに伯母の最後を看取ることができなかった。
それが今でも喉にひっかかった小骨のように胸の内にある。
おそらくそれが後悔というものなのだろう。

今回の予感は外れてくれることに越したことはないけど
ここであの時のように仕事に行ってしまえば
私は一生、悔いることになると思う。

妹の車が到着するまでの間、
ふと昔住んでいた愛知県のSサンの事を思いだした。
Sサンは母が入院してからというもの、
自分に月1、2回電話をくれている。
Sサンも仕事をしてるので朝は忙しいだろう。
もしかしたらすでに出勤して電話に出られないかもしれない。
でも、母と話をする最後のチャンスかもしれない。
そう思うと私は意を決してSサンに電話することにした。
幸いなことにSサンはまだ家にいた。
突然の私からの電話に驚き、母に何かあったのかと察したのだろう。
母に受話器を渡すと電話越しにSサンの母を励ます声が聞こえてきた。
母も言葉を詰まらせながら感謝の言葉を繰り返していた。
母に生きようとする活力が少しでも出てくれればいいなーと思う。

母の手をとりながら妹の車に誘導し乗車。
病院までの小一時間の道のりがやけに長く感じました。

病院に着いて早々、一般受付に回されるというトラブルもありましたが
電話で応対してくださった当直医師の方に引き継いでからは
再入院の手続きがスムーズにいきました。
母の担当医とラインでやりとりをしてくださったみたいで
今週の木曜日に私がもう一度病院に出向いて
担当医と話をすることになりました。

また今後の方針がどうなるかわからないけれど
介護認定の申請をしておいた方がよいでしょうというアドバイスをいただき
帰宅後は役場に行って申請を行ってまいりました。
それと今後の万が一…母が亡くなった時のために
焼場の手配やら云々の相談もしてきました。
こういうのっていざって時にならないとわからないので困るよね。

ホントは今回、母が帰宅してる期間に母の様子をみて
そういった万が一について母の意向を聞いておきたいと考えておりました。
帰宅して早々そういった話を詰めるのもあれだと思い、この4連休中に
話をきり出せたらいいなーと漠然と考えていたんですけどね。
いつだって現実の速度は自分が考えているより速すぎるんだよな。
まったく。