このコーナー、1年と8ヶ月ぶりの更新となってしまいましたね~〈滝汗〉
さて今回ご紹介する方は村下孝蔵さんです。自分等の世代、40代前後の方はご承知の方も大勢いらっしゃるでしょう。
今回は自分の半生の中での彼の歌との関わり方を振り返りながら彼の歌を聞いてまいりたいと思います。
私は村下孝蔵という歌手を知ったのは彼の大ヒット曲「初恋」からでした。当時はラジオからも毎日のように「初恋」がかかっていたと思います。1983年発売ということで私は当時中学2年生。思春期真っ只中であり、どこにでもいる恋に悩むひとりの少年でありました。この歌を聞いたときの甘酸っぱくて切ない気持ちは30年以上経った今でも焦ることなく私の胸の内によみがえってきます。
「初恋」
作詞・作曲・歌唱:村下孝蔵
無邪気に「○○ちゃんダイスキ!」と言えたガキンチョのまま、どーしてヒトはいられないのでしょうかね。「恋」というものは突然やってきて同時に「切ない」という感情を私の心に刻み込んでゆきました。私の「初恋」は結局この歌の歌詞にあるように打ち明けられぬまま終わってしまいました。
「初恋」という歌はまさに当時の自分の心境を代弁してくれていた歌でした。
「初恋」大ヒットの中で村下孝蔵さんをTVで見た記憶がなく、当時は「ベストテン」などに入っても出演を断る歌手もいたので何かこだわりがあって出演されないのかなぁ~くらいにしか思ってなかったのですが…ウィキったら当時、彼は肝炎を患っておりTV出演ができなかった…とあって30年経って初めて知る真実におもわず苦笑。
「春雨」
作詞・作曲・歌唱:村下孝蔵
ウィキったついでに簡単に彼の経歴をチェックしていきましょうか。
1953年、熊本生まれ。
第1回CBS・ソニーオーディションに応募し、グランプリを獲得。これがきっかけとなって27歳にしてプロ歌手としてデビューする。
プロデューサーとして村下の全作品を手がけた須藤晃(!?尾崎豊を発掘したのもこの方じゃん!)によると、村下の将来性を巡ってはCBSソニー社内でも意見が分かれ、「このオーディションで一番レコードが売れるのは村下孝蔵だ」と断言する者もいれば「フォークはもう終わりだぞ。ラジオスターの時代じゃなくルックスの時代なんだ」と村下のルックスや年齢に難色を示す者もいた。
村下の楽曲は有線で強く支持され、地方では演歌に似たチャート変動を示した。
30歳にして発表した5枚目のシングル「初恋」は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなる。
1989年、この頃からアルバムの売れ行きが落ち込みを見せ、村下にも須藤自身にも焦りが生じたという。1992年発売のシングル「ロマンスカー」は「これが売れなきゃおかしい」という思いで制作し、完成時に村下が「やっと納得する作品が出来た!」と語った渾身の作品であったが売れず、須藤は「時代が違ってきたんだ」と感じたという。この時期の村下は試行錯誤の末、「自分には"初恋"を越える曲はできんかもしれん」「時代は追いかけるものではなく、巡りくるもの。向こうからやってくるのよ」という境地に至った。
(ウィキペディアより)
話を戻します。「初恋」から数年が経って村下孝蔵の歌はちょっと意外なカタチで再開することとになります。私の20世紀ベストアニメのランキングの中でも不動の1位の作品「めぞん一刻」、その最終クールのオープニングタイアップ曲として抜擢されたのが彼の「陽だまり」という歌です。
「陽だまり」
作詞・作曲・歌唱:村下孝蔵
この歌は村下孝蔵さんが原作の「めぞん一刻」を読んで書き下ろされた楽曲だそうです。私のカラオケの十八番の1曲です。上に紹介したのはアニメのOPver.で短くなってますが、できればフルサイズでじっくり聞いてみることをオススメします。
次に彼の歌に出会ったのもちょっとオモシロイ?環境でした。美術系の大学に通っていた時に私はボクシング部に籍をおいていたのですが(いろいろとツッコミしないようにw)、そこのボクシング部の部長が村下孝蔵のファンでして…なんというか、その…部室でよく彼の歌がかかっていたのですよ(汗)今思うとなかなかシュールな光景だと思うけど。また飲み会などの席でも部長がよく歌ったりしてて、自分も村下孝蔵曲が好きだったので意気投合?して一緒に歌わされたりね~(遠い目)。当時はまだカラオケというものがスナックとかにしかなかったと思う。貧乏学生としてはスナック通いできるわけもなく、確か部員の誰かがアコギを弾いていてみんなで歌ったりしてたと思いますw その部長の十八番が「踊り子」でした。
「踊り子」(弾き語りver.)
作詞・作曲・歌唱:村下孝蔵
うーん、ものすごいギターテクニックですね。今回、記事を書くにあたって村下孝蔵という人物像について調べてみたのですが、彼は実に飾らない方のようでして田舎によくいる愛想の良いお兄さんタイプ、またはよくいう「好い人」っとう印象を受けました。これだけのギターの腕前を持ちながらレコーディング収録では披露せずにコンサートの時だけ弾いていたみたいですね。ああ、できれば彼のコンサートに行ってみたかったなぁ~。
YouTubeに村下孝蔵の歌と女優さんの写真を合成してUPされていた素敵な作品がありましたので紹介しておきましょう。
「少女」
作詞・作曲・歌唱:村下孝蔵
photo by 夏帆
「かげふみ」
作詞・作曲・歌唱:村下孝蔵
photo by 堀北真希
…どーして、村下孝蔵の歌は今も変わることなく自分の心を振るわせるのだろうか?と考えます。よく「演歌は日本のこころ」だなんて言いますが、彼の歌のような叙情的な歌も忘れてはいけない、と思うけど…はたしてイマドキの若者の心に彼の歌は響くのかしら…できれば自分の単なるノスタルジー的な思い込みでなく、時代を越えて今でも通じる歌であってほしいですね。
それにしても、村下孝蔵の書くの歌詞は美しいと思いませんか?実に日本語として情景描写、心理描写が繊細で美しい。彼の場合はもう作詞家というより詩人だと思ってます。そして対象を見つめる眼差しがとてもあたたかく優しいところが好きです。
最後に彼の経歴のラストを紹介してこの記事を〆たいと思います。今回は久しぶりのこのコーナー、ちょっと張りきりすぎて動画を貼り付け過ぎた気もしてますが…長々とお付き合いしてくださいましてありがとうございました(苦笑)
1999年6月20日、コンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていた。診察で「高血圧性脳内出血」と判明した直後、意識不明の昏睡状態に陥り、僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。葬儀は6月26日に営まれた。夫人の希望により、出棺の際には村下が生前最も気に入っていた楽曲「ロマンスカー」がかけられた。
…奇しくも今年、こうして記事を書いている自分と同じ歳で村下孝蔵さんは逝かれたんですね。たくさんの素晴らしい歌を残してくださってありがとうございました。合掌。
「ロマンスカー」
作詞・作曲・歌唱:村下孝蔵
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