最近仕事でコンスタンスに
作業ランキング上位者の中に名を挙げられるようになりました。
入荷側では2位になったり(1度だけですが・笑)
出荷側では度々TOPになったりしております。
正直なところ、自分の処遇については本来入荷担当所属の身なはずが
出荷作業に借りだされ、すでに働いていたトータル時間では出荷側が多い。
専属作業で専念できずにいつまで経っても
二足わらじで働かされていることに不満はある。
時々、いっそのこと手をぬいて作業スピードを遅くすることで
頼りにならない奴アピールをして、多くの作業者がそうであるように
自分もどちらかの作業で専属で働きたいなーと思うものの…
今日までしっかりとサボることができないでいる。
一応、チャレンジはしてみたりしているんですよ。
自分はけっして良い人間じゃないのでね。
でも無心で仕事をしているといつの間にか作業スピードが
加速してしまっているという有様で…
もともとトロトロ仕事するのが性に合わないから
わざと作業をゆっくりしようにも限界があるようだ。
そんなこんなでこのところ諦めの境地で仕事に打ちこんでいたら
いつの間にかランキング上位者になっていた。
変わったことといえば作業中に巡回してくるリーダーや教育係の方が
「お疲れ様です!
現在のところ、じゃんじゃん丸さんはランキング1位ですよ~
午後もその調子でがんばってくださいね!」
といった声がけをしてくれることが増えました。
ま、悪い気はしないよね。
女性スタッフから特に、ね(苦笑)
「お金に色はない」という言葉はある。
良いことをして得たお金でも悪いことをして得たお金でも、
同じ額面なら同じ価値だという意味です。
ただ自分のモットーというか、労働力の対価として支払われた
金銭に関しては「お金に色はある」と考えながら生きてきたフシがある。
なんと例えればよいだろうか。
例えば時給1,000円の仕事があったとしよう。
そこで仕事をやったー!という満足感で得られる1,000円と
サボって得られる1,000円とは同じ金額であろうとも
なんとなく価値が違うように思えるのだ。
この辺はあくまでもニュアンスの問題なので他人がどういう働き方、
生き方で金銭を得ようとも否定するつもりはありません。
ただ、なんとなーく…自分としては働いて得るお金に関しては
正々堂々とうしろめたさもなく受け取りたいし使いたいと感じている。
それはまた価値観にも通じるものだと思っている。
お金を使う時にもさ、
一生懸命に稼いだお金だと使う際にも慎重になると思うのよね。
仮に宝くじで数千万とか億とかのお金が降ってわいてきたら
欲望の赴くままに使ってしまいそうな気もするけれど
それはそれであぶく銭なんてそんなもんだと思う。
くじ運のない自分にはコツコツと真面目に働いて
けっして多くないお給料をどのように活かして生活していくか?を
思案しながら生きていくのもそれはそれで幸せなのかもしれないな。
ドラマ「北の国から」の中で
(泥のついた一万円札)という名エピソードがあります。
この話がすごく好きです。
自分の中のお金に関する想いがまさにこのエピソードに凝縮されてます。
もうひとつ、仕事に対してついムキになって頑張ってしまう理由に
就職氷河期世代、ロストジェネレーションならではの悔しさがあります。
20ー40代の働き盛りの時代に正社員として職を得られなかったこと。
ロスジェネ世代は人それぞれ違いもあるだろうが、それまでの人生観、
価値観を大きく変えられた存在であり、社会に受け入れてもらえなかったと
いう事実は自分自身の存在価値感への疑問符といったものを
少なからず強いられてきたように思っています。
だからついナニクソ精神で私は頑張ってしまうんだろうなーと思うこの頃。
作業ランキング上位者の中に名を挙げられるようになりました。
入荷側では2位になったり(1度だけですが・笑)
出荷側では度々TOPになったりしております。
正直なところ、自分の処遇については本来入荷担当所属の身なはずが
出荷作業に借りだされ、すでに働いていたトータル時間では出荷側が多い。
専属作業で専念できずにいつまで経っても
二足わらじで働かされていることに不満はある。
時々、いっそのこと手をぬいて作業スピードを遅くすることで
頼りにならない奴アピールをして、多くの作業者がそうであるように
自分もどちらかの作業で専属で働きたいなーと思うものの…
今日までしっかりとサボることができないでいる。
一応、チャレンジはしてみたりしているんですよ。
自分はけっして良い人間じゃないのでね。
でも無心で仕事をしているといつの間にか作業スピードが
加速してしまっているという有様で…
もともとトロトロ仕事するのが性に合わないから
わざと作業をゆっくりしようにも限界があるようだ。
そんなこんなでこのところ諦めの境地で仕事に打ちこんでいたら
いつの間にかランキング上位者になっていた。
変わったことといえば作業中に巡回してくるリーダーや教育係の方が
「お疲れ様です!
現在のところ、じゃんじゃん丸さんはランキング1位ですよ~
午後もその調子でがんばってくださいね!」
といった声がけをしてくれることが増えました。
ま、悪い気はしないよね。
女性スタッフから特に、ね(苦笑)
「お金に色はない」という言葉はある。
良いことをして得たお金でも悪いことをして得たお金でも、
同じ額面なら同じ価値だという意味です。
ただ自分のモットーというか、労働力の対価として支払われた
金銭に関しては「お金に色はある」と考えながら生きてきたフシがある。
なんと例えればよいだろうか。
例えば時給1,000円の仕事があったとしよう。
そこで仕事をやったー!という満足感で得られる1,000円と
サボって得られる1,000円とは同じ金額であろうとも
なんとなく価値が違うように思えるのだ。
この辺はあくまでもニュアンスの問題なので他人がどういう働き方、
生き方で金銭を得ようとも否定するつもりはありません。
ただ、なんとなーく…自分としては働いて得るお金に関しては
正々堂々とうしろめたさもなく受け取りたいし使いたいと感じている。
それはまた価値観にも通じるものだと思っている。
お金を使う時にもさ、
一生懸命に稼いだお金だと使う際にも慎重になると思うのよね。
仮に宝くじで数千万とか億とかのお金が降ってわいてきたら
欲望の赴くままに使ってしまいそうな気もするけれど
それはそれであぶく銭なんてそんなもんだと思う。
くじ運のない自分にはコツコツと真面目に働いて
けっして多くないお給料をどのように活かして生活していくか?を
思案しながら生きていくのもそれはそれで幸せなのかもしれないな。
ドラマ「北の国から」の中で
(泥のついた一万円札)という名エピソードがあります。
この話がすごく好きです。
自分の中のお金に関する想いがまさにこのエピソードに凝縮されてます。
もうひとつ、仕事に対してついムキになって頑張ってしまう理由に
就職氷河期世代、ロストジェネレーションならではの悔しさがあります。
20ー40代の働き盛りの時代に正社員として職を得られなかったこと。
ロスジェネ世代は人それぞれ違いもあるだろうが、それまでの人生観、
価値観を大きく変えられた存在であり、社会に受け入れてもらえなかったと
いう事実は自分自身の存在価値感への疑問符といったものを
少なからず強いられてきたように思っています。
だからついナニクソ精神で私は頑張ってしまうんだろうなーと思うこの頃。
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